大判例

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大阪高等裁判所 昭和31年(う)41号 判決

本籍 福岡県田川郡添田町九百五十六番地

住居 大阪市西成区松田町一丁目十二番地

会社員 有馬喜市

大正四年八月七日生

右の者に対する麻薬取締法違反被告事件について昭和三十年十二月九日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し被告人から控訴の申立があつたので当裁判所は次の通り判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

原判決の判示第一の(二)麻薬所持の事実については、被告人は無罪。

理由

本件控訴理由は末尾添付趣意書の通りである。

第一点について。

弁護人は、原判決は判示第一の(二)の麻薬所持の事実を認め証拠として麻薬取締官作成の昭和三十年十月十一日附捜索差押調書を掲げているのであるが、右捜索差押は憲法第三十五条に違反し無効であるから右調書は証拠能力がないし、その他の原判決挙示の証拠は被告人の自白だけであるから右判示事実は無罪であると主張する。

しかして、本件の捜索差押は麻薬取締官前田勇作の調書によると、被疑者有馬喜市に対する麻薬取締法違反被疑事件につき同被疑者を緊急逮捕する必要があつたのでその現場において捜索差押をしたというのであつて、その日時は昭和三十年十月十一日自午後九時三十分頃至午後十時―分頃、その場所は大阪市西成区松田町一の一二被疑者住居となつており、捜索差押のてん末としては「本職等麻薬取締官四名は昭和三十年十月十一日午後八時三十分頃大阪市浪速区霞町南海阪堺線霞町駅西側路上に於て職務質問に依り麻薬ヘロイン一袋約五瓦を所持して居た森上光枝を逮捕したが同人が入手先である有馬喜市を自供したので有馬宅に森上を連行の上、有馬を緊急逮捕すべくおもむいた処森上は有馬喜市の長女より麻薬を受取つたと云うので其の娘に聞いた処渡した事を自供した。本職等は証拠いんめつのおそれがあつたので任意に捜索した処奥六畳の間(階下)の和ダンスの一番下の引出の新聞の下より麻薬ヘロイン一袋(証一号)を発見し其の隣にあつたタンスの引出しより銀紙包(煙草)にしたヘロイン約二瓦を発見押収した。尚階下表の間のミズヤの上より森上が麻薬一袋を包んで居た週刊朝日の切りのぞいた雑誌を一冊(証三号)を押収した。其の后尚捜索を続行中有馬喜市が帰つて来たので午後九時五十分頃緊急逮捕した。」と記載せられている。

従つて、(イ)右捜索差押は有馬喜市の緊急逮捕に先だつて行われたことが明らかである。しかし、刑事訴訟法第二百二十条の規定によつて行う令状によらない捜索差押は緊急逮捕に着手した後に開始されなければならないこというまでもない。緊急逮捕に着手しないで捜索差押を先きに行うことは許されない。しかるに、本件は有馬喜市不在のためその緊急逮捕に着手しないで同人宅の捜索差押を開始し殆んどその終る頃になつて帰宅した同人を緊急逮捕したことが明らかであるから、かかる捜索差押は違法であるといわねばならない。

(ロ)右捜索差押のてん末には前記引用のように「………本職等は証拠いんめつのおそれがあつたので任意に捜索した処………」とあるけれども、本件の被疑事実たる有馬喜市の森上光枝に対する麻薬の譲渡行為については、既に瀬上コト森上ミツエが麻薬所持の現行犯として逮捕せられており、且つその現品も押収せられているのであるから、その譲渡行為に関する証拠いんめつを防止するため捜索差押をするということは考えられないことである。従つて、本件の捜索差押は別の麻薬の発見、すなわち麻薬譲渡の被疑者について別の麻薬の所持なる余罪の捜査のためになされたものと解するの外はない。しかし、緊急逮捕の現場においてする捜索差押はその逮捕の基礎である被疑事実に関する証拠品等の差押等に限られるべきものであつて、他の犯罪に関する物の差押等にまで及ばないものであるから、本件の捜索差押はこの点においても違法たるを免れない。

(ハ)なお、捜索差押のてん末の中に「任意に捜索した処」との記載があり、且つ捜索差押の立会人は「有馬喜市及び有馬の長女」と記載されていて、記録によると右長女とは石橋通子のことであつて当時十七才で商業高校二年に在学中のものであつたのである。本件の捜索差押が何を意味するかさえ十分に理解し難いと思われる少女に麻薬取締官が家の中を見てもよいかと尋ね、どうぞ見て頂戴と答えたからといつて、適法に同女の承諾を得て任意捜索差押をしたものと解するようなことは全く恣意的な見解というの外はない。捜査機関の申出を拒絶できることを十分に知つている者が、その拒絶権を行使しないで積極的に承諾を与えて始めて適法な同意があつたといえるのである。本件の捜索差押を適法な承諾捜索と解することは到底できない。(いわゆる承諾捜索が人権侵害の危険の多いのにかんがみて、犯罪捜査規範二〇八条の規定や昭和二三年三月五日法務庁検務局長の通牒は、捜査官が任意捜査として住宅等に立ち入つて証拠物件の領置を行うことを禁止している)。

以上説明の通り、本件捜索差押は刑事訴訟法第二百二十条の規定に適合せず、且つ令状によらない違法の捜索差押であるから憲法第三十五条に違反するものといわなければならない。従つてかかる違法の手続によつて押収された本件麻薬、その捜索差押調書等は証拠としてこれを利用することは禁止せられるものと解する。もし、違法に押収せられた物件も適法な証拠調を経たときは証拠として利用できると解するならば憲法の保障は有名無実になつてしまうであろう(昭和二三年七月一四日最高裁判所大法廷判決は「原判決は所論の押収物件を犯罪事実認定の証拠としていないことは判文上明白である。従つて、仮りに本件の捜索及び押収の手続に所論のような違法があつたとしても、それは原判決に影響を及ぼさざること明白であるから上告の理由とならないものと言わなければならない。」と判示して、憲法違反の手続によつて押収せられた物件を証拠にした場合は原判決を破棄すべきことを前提としているように解せられる)。ところで、原判決の判示第一の(二)の事実(昭和三十年十月十一日被告人自宅における麻薬ヘロインの所持)は被告人の自白と麻薬取締官作成の昭和三十年十月十一日付捜索差押調書及び右麻薬を鑑定した厚生技官中川雄三作成の昭和三十年十月十七日付鑑定書を補強証拠として認定せられている。しかし、右の補強証拠はいずれも違法な捜索差押手続によるものであるから証拠として利用することはできない。他に適法な補強証拠も発見できない以上、原判決第一の(二)の事実は被告人の自白だけでこれを認定することになるので原判決は破棄を免れないが、当審で直ちに判決できるものと認め刑事訴訟法第三百九十七条第四百条但書の規定に従つて次の通り判決する。

原判決確定の判示第一の(一)の麻薬譲渡の事実をその挙示する証拠で認め麻薬取締法第十二条第一項、第六十四条第一項、第六十六条前段を適用して被告人を主文の刑に処する。

本件公訴事実中原判決の判示第一の(二)の事実、すなわち被告人が昭和三十年十月十一日その自宅において塩酸ジアセチルモルヒオ二包を所持していたとの事実は犯罪の証明がないから刑事訴訟法第三百三十六条後段の規定に従い主文第三項の通り無罪とする。

(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 網田覚一 判事 小泉敏次)

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